水の底から

みずの そこから いろいろ かきます

【水中都市】水の音1032(2/2)

 エレヴェーターの中で前の部署の上司と出くわした。

 簡単に挨拶をし、手持ち無沙汰になって外の景色を眺める。高い階層にいたので、遠くまで心地よい青色が広がっていた。いい日和だ。魚群が目の前を通り過ぎる。マイワシの稚魚、もうそんな時期なのか。
 うまくやってるか、と上司はずいぶん幅のある聞き方をした。ええ、とだけ答えた。眼下に拡がるビル群を眺めながら、間が持たなくなって、つい変なことを口走ってしまう。最近、水の音を聞かないんです。それがなんだか寂しくて。いろいろな物事はちゃんとうまくいってるんですけど、物足りないような気分になったりします。まあ、結局は些細なことですけど。
 上司は怪訝な顔をして俺を覗き込み、言った、水の中で水の音が聞こえるわけがないだろう? 大丈夫か?


 目覚めたとき、むしろこちらの世界のほうが現実感に欠けていると思った。


 金曜日の夜にはブログにあげられたひと通りの音楽データを聞き終えていた。617。最後のファイルを聞き終えたとき、早く新しい記事が更新されないかと待ち焦がれた。記事は大抵夜の十一時から深夜二時までの間に更新される。きっかりその時間帯に、新たな水の音は加えられる。その日は日付が変わる少し前に新しいデータがアップロードされた。618。キッチンシンクのステンレスの板に蛇口から勢いのある水が流れ出て打ち付ける、そんな音。聞き終えたあと、自分のキッチンで同じ音を立てるべく水を流す。期待していた、先ほどの音楽データの音とは何かが違う、くぐもった鈍い音しかしなかった。
 ところで、約束していたのにも関わらず、金曜日に女は訪ねてこなかった。


 土曜日の朝、俺はまた最初から音楽データを聞き始めていた。二周目。外は曇っていた。雨はまだ降っていなかった。
 水が立てるさまざまな音。その種類は豊富で、意外性に富み、そして何かを伝えようとしていた。音楽データの音は注意深く水の音のみを切り取っていた、それ以外の音はどんな些細なものであれ紛れ込んではいなかった。純粋な水の音のみに囲まれて、水はその実在性を強く俺に訴えかけていた。それらの音を作り出す膨大な量の水を俺は思い浮かべていた。膨大な、膨大すぎて思い描くこともかなわない、呆れるほどの量の水。人間などにはコントロールすることのできない、ただそれだけで決定的でさえある甚大な規模の水のかたまり。
 雨が降り出していた。


 女に三度目の電話をした。昨夜からかけ続けている。今回も女は応答しなかった。留守番電話へ誘導する平板な音声が聞こえ、通話を切った。携帯電話を壁に叩きつけた。そんな自分の行動に、後から気づいて驚いた。俺は一体何をしているのだ?
 床に落ちた電話を拾う。画面にはヒビが入っていた。操作自体に支障はなかったが、それは無様にスクリーンを縦断していた。脱力感に覆いかぶされて、俺は助けでも求めるみたいにノートパソコンへ向かい水の音のヒアリングを再開させた。実際に降り続く雨の音をささやかな背景にして、音は水の存在を力強く暗示し続ける。372、373、374、375。376、377、378、379。
 再生された水の音はひとつひとつ雨の音に合流をしているかのようだった。降り続く雨の音は音楽ファイルを再生させるごとに強まった。足し合わされる水の音。水は確かに存在し、現実の音を立てる。それがたまたま雨という形を取っただけのことなのかもしれない。まだ昼を迎えてすらいないのに、俺はウィスキーを飲み始めた。503、504、505。このまま行けば昼過ぎにはひと通り聞き終えられるだろう。酔いに鈍くなりつつある頭でそう見積もった。その読み自体は、たぶんそれほどはずれてはいなかった。だが予期しない事態が持ち上がったのだ。


 大量更新が始まったのは、正午きっかりの時間。そこから三十分足らずの間に、二百五十を超える記事がポストされた。
 内容はこれまでと同じだ。ひとつの記事につきひとつの音楽データ。もちろん後から確かめたことなのだが、それらの音楽データはこれまでのものと重複しない、全く新しいものだった。新たな水の音が加えられた。二年ほどの時間をかけてこつこつと投稿を重ねた618という数が、短い時間に一気に850を超えた。
 その異常な投稿にはすぐに気づいた。しかし急いでそちらに飛びつく事はせず、引き続き順番通りに水の音を聞き進めることを選んだ。急がなくても、それほど遠くないうちに新規の投稿へ追いつく。新しい音楽データを聞くのはそれからでかまわない。そう判断した。
 めまぐるしい連続投稿が終わり、程なくして俺自身も新規の投稿記事へと追いついた。最終的に蓄積された記事の総数は863。その最後の投稿が終わると、それきり更新はなくなった。俺は新しい水の音の記事にアクセスした。619。ストローで飲み物をすするときのような音が聞こえる。
 雨は加速度的にその烈しさを増していた。


 沿岸部を中心に全国的な豪雨が続いています。降り始めからの雨量は各地で記録的な量に達しています。これはまったく予測されていませんでした。雨雲の動きを見ますと、急に沸き立つようにして各地に力強い雨雲が発生しています。これだけ広い範囲で同時に、このような急速な雨雲の発達が見られるというのは非常に珍しいとのことです。この件について気象庁は、緊急の記者会見を予定しています。各地で河川の氾濫も生じています。また交通機関にも大きな影響が出ています。豪雨はいつまで続くか専門家の間でも意見が分かれています。不要な外出は出来る限り避け、今後の情報を注意深く見守ってください。繰り返します。沿岸部を中心に全国的な……


 キジトラのねこが水の中に沈んでいる。
 目を閉じている。動くものは水流に揺れる体毛だけだ。水の底に横たわり、前脚と後脚をそれぞれ交差させている。
 閉じた口、しかし右側の口の端からかすかに白い牙が顕れている。
 水面から離れて、ここは静かだ。水面は弾丸のように叩きつける幾億もの雨粒が表面を泡立て、途方もない轟音を生み出している。そんなこととは没交渉に、水の中は静かで平穏だ。あれほど烈しく表面を叩きつけた水は優しい層となって、そこに沈むさまざまなものを穏やかに包む存在となる。そこではもう音は立てない。水は別個の存在ではなく全体となる。調和と静謐。あらゆるものを包み込み、慰撫し、熱を奪う。気の遠くなるような安らぎを約束してくれる。
 ここは水の底。
 キジトラのねこのまぶたが開く。横たわった体をゆっくりと起こし、伸びをする。鼻先を上に向けて少しの間静止した後、何かを見極めたように歩き出す。その足取りは水に浮き、ゆっくりと、そして軽やかだ。


 二度目の大量更新で、記事の総数は1032にまで達した。


 逃げ出すことはもうできない。逃げ出せた人はいるのだろうか? 水位は順調に上昇を見せ、海抜の低い駅周辺のエリアはきっとすでに沈んでしまったことだろう。雨はもはや雨と呼べる種類のものではなく、修辞上の話でなく本当に滝のように降り注いでいる。視界もほぼ利かない。そしてその轟音は、他のあらゆる音を妨げていた。
 電気の供給はとうにない。ノートパソコンは、それまでに蓄えられていたバッテリーの余力で動いているに過ぎない。ネット回線が機能しなくなるのも時間の問題だろう。それでもいまはまだ、アクセスできる。水の音の音楽データを再生させることはまだ阻まれていない。
 取り囲む轟音が大きすぎて、そのささやかな個別の水の音はもうほとんど聞き取れない。しかし俺はすでに確信している。この轟音の中にはこのささやかな水の音も含まれている。轟音は足し合わされた水の音だ。かたまりとしてその音を聞けば恐ろしいかもしれない。しかし解きほぐしたそのひとつひとつの音はよく馴染のある音なのだ。けして理解不能なものではない。
 できれば最後まで水の音を聞き取りたい。いずれこの部屋も水の中に沈むだろう、だがその前に、すべての音に耳を通し、この轟音を理解したい。ウィスキーはもうなくなった。しかしそんなものはもういらない。焦る気持ちを抑え、ひとつひとつ丁寧に、水の音の記事にアクセスする。889、890。891、892。轟音はさらに強くなる。水の音はなおも合流をつづけ、絶対的な水の量に支えられて、その存在を示し続ける。俺たちの築き上げてきたものたちは皆水の中に沈みつつある。その事実を俺はすんなりと受け入れてしまった。いや、もしかしたらそれは、俺が望み続けてきたことだったのかもしれない。この光景にはひどく既視感がある。
 やまない雨はない、と誰かが言う。その通りだろう。しかしそれがいつやむか、誰も言い当てることはできない。やむのを待つ間に、大事な何かは終わってしまうかもしれない。そんなことをずっと考えてきた。今回もそうなのだろう。この雨はきっとやむ。しかしやんだとき、物事がどの地点にまで進んでしまっているか、それは誰にもわからない。
 そのとき俺は水に沈んでいるだろう、と俺は思う。そして深く静かな水の底で、ようやく瑕疵のない平穏を得ることができるのだ。


 1011、1012、1013、1014……


 部屋の中に水が侵入する。床上に水位が現れ、そしてそれは想像以上の早さで上昇を続ける。
 あと少しだ、と俺は祈る。あと少しで全部なんだ。1018、1019、1020。逃げる場所はどこにもない。時間を確保する術はもう残されていない。
 1021、1022。1023、1024。


 すべての再生を終えたとき、水位はもう部屋の三分の二を満たしていた。棚の上に立ち、必死にノートパソコンを頭上に掲げ、何とか最後の音楽ファイルまでたどり着いた。
 最後の方の音は、もうほとんど聞き取れなかった。しかしそれは、特に問題とは思わなかった。
 心から安堵して、俺は口元を緩めたことだろう。水位は上昇し続け、確実に天井まで届こうとしている。大丈夫、苦しいのは少しの間だけのこと。その後には長く静かな平穏が訪れるのだ。だから恐れるな。足掻くな。ためらうな。


 最後に思い描いたのは、女のことだった。金曜日に遊びに行くよ、ウィスキー持ってさ。だから予定開けておいてよ、絶対だよ! そして女は来なかった。どうして。
 ちくりと胸に刺さるものがある。それはきっと後悔だ。しかし具体的に何を悔いているのか、探り当てることはできなかった。水位はもう胸元のところまで来ていた。もう遅い。後悔を水の底まで持ち込むことはできないのだ。
 あの女の無事を願った。あの女は水の底の暮らしを望まないだろう。キャラじゃない。静謐も平穏もあの女はきっと望まないだろう。いいのだ、それで。初めから分かっていたことじゃないか。分かち合うことはできなかったのだ。その溝を確かめ合うたび、十分傷ついてきた。もう十分だ、もう。これで繰り返さずに済む。きっとこれで良かったのだ。


 1032番目は涙の流れる音だった。もちろんそんなものは聞こえない。だが俺にはわかった。女はいつも泣いていたのだ。


 もう泣かないで済む。そう考えて俺は笑った。水が肺に流れ込む。


 あらゆるものが水の底へ沈み込む。作り上げてきたもの、築き上げてきたもの、想いや希望、約束さえも、あらゆるものが水の底に沈み込み、堆積し、大きなかたまりができあがる。水はそれを優しく包む。烈しさや轟音ではなく、調和と静謐によって、それらはゆっくりと形を作る。
 さあ、水中都市のできあがりだ。

 

(次回更新 6/17)

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《あとがき》

 「水の音」の着想を得たとき、このすべてが水に沈むという結末を思い描いていました。本当はそれを書きたかった。最近暑いので、ひんやりした水の底に沈みたかったのかもしれません。出来上がってみると、最初に空想した形とはいくぶん違ったものになった気もするけど、最後の最後で主人公がやや感情的になる部分は、個人的に良かったなあと思っています。