水の底から

みずの そこから いろいろ かきます

【ねこキラーの逆襲】第1章 女の子と、ねこの目の女の子 (2/3)

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「現実パートと幻想パート」

 朝の六時に目を覚まし、ぬるめの湯でシャワーを浴びる。その後でゆっくりとコーヒーをいれ、それをテーブルのわきに置いてノートパソコンの画面に向かう。新しく開いたテキストファイルに一時間半ほど集中して文章を書き、手許のコーヒーがなくなったところで切り上げた。悪くない出だしだった。小説の展開は書きながら探っていたけれど、物語のプロットがおおまかな軌道に載ったことを途中からはっきりと実感できた。最後まで書き上げられそうな確かな手ごたえを感じた。物語の規模もある程度把握できた。おそらく完成までにあまり時間はかからないだろう。テキストファイルのタイトルは、とりあえず「ねこの目の女の子」としたけれど、それが一時的な仮のものであることは十分に意識していた。
 大きく伸びをしてからテレビをつけ、朝のニュース番組にチャンネルを合わせる。ひと通りヘッドラインを見終わってから、チャンネルを替えてひとりでゲームを始めた。ゲーム機ごとコントローラーを引き寄せて、ベッドの上に寝そべったまま遊べるようにする。ゲームの間はほぼ切れ目なくスピーカーからBGMが流れているけれど、イベントごとのロードの数秒間だけは音が消える。そんなとき、鳥の鳴き声や車庫のシャッターを開ける音が部屋の外から小さく聞こえる。道を走る原付の音や甲高く叫ぶ子どもの声が聞こえる。そのようなささやかな生活の音は、でもすぐに始まるゲームの音に簡単にかき消されてしまう。
 新しく書き始めた「ねこの目の女の子」の小説の中ではささやかな生活の音は死滅していた。台風が近づいているからだ。怒ったような風の音だけが窓の向こうから聴こえている。主人公は僕と同じようにアパートの一室にひとりで暮らしている。「ねこの目の女の子」はそんな主人公の部屋にやってくる。そして、特に何かをするわけでもなく、静かに時間をつぶす。あの女の子と同じように。昼ごろになって、台風の近づく街を、ふたりは車に乗って昼食を食べに出かける。車は途中で嵐に巻き込まれる。それを機に、車の中でふたりは初めて会話をする。今朝の段階でここまで書き上げた。この先始まるその会話の内容は、まだ明確には考えていない。
 一時間ほどすると訪問者を告げるベルが鳴った。インターホン越しに、年齢の割にややハスキーないつもの女の子の名乗る声が聞こえた。ボタンを押してエントランスのロックを解除する。ゲームの電源を切って片付けをしていると、しばらくして玄関のドアが開き、ノートパソコンの入った重たげなリュックを背負った女の子がいつもの通りどこか不機嫌そうな声でおはようとあいさつした。おはよう、と振り返って僕も応える。女の子は部屋にはいると僕のベッドの上にリュックを降ろし、何かを探すようにぐるりと部屋を見渡してから、糸の切れた操り人形を思わせる動きでベッドに腰をおろした。
 今日は早いね、と僕は言った。朝ごはんは食べた? 何か作ろうか?
 何か作って。女の子はこちらを向かず窓の外を見つめたまま、やっぱりどこか不機嫌そうな声でつぶやいた。僕はキッチンへ行き冷蔵庫から卵を取り出してプレーンオムレツを焼いた。フランスパンをトーストし、ハムのサラダを作った。ガラスのコップに牛乳を注いだ。トレイに載せて持っていくと、女の子はベッドの上で静かにプログラミングの本と闘っていた。
 食べ終ってから、ふたりはそれぞれのノートパソコンを開き自分の作業にこもった。女の子はプログラミングの本とパソコンの画面を交互ににらみながらぎこちない指づかいでキーボードを鳴らしている。僕はテキストファイルを開いて小説の続きに取り掛かろうとした。でも今朝の順調なペースがウソのように、文章はピタリと止まってしまった。いくら時間を費やしても、一行も先へ進まない。嵐に見舞われた車の中で始まる、ふたりの会話の糸口がつかめない。三十分ほど粘ったけれど、結局それ以上書くのを断念した。単純にプロットの展開が思いつけないだけなのか、それとも昨日の予感の通りモデルとなる女の子の前では文章が書けないのか、僕には分からなかった。席を立って、はずしてあったケーブルをパソコンに繋いでインターネットに接続していると、女の子がそれに気づいて口を開いた。ネットに繋ぐなら、ついでに「ぬー」が復活してないか確認してみて。言われた通りブックマークから辿って「ノベルワーク」にアクセスしたけれど、相変わらずエラーが表示されるだけだった。まだ死んでるよ、と伝えると、女の子の気のなさそうな生返事だけが返ってきた。僕はブックマークにあるブログを上から順番に見ていき、更新がないかを確認した。
 小説、書けないの? ちょうどブログの更新を見終ったところで、ふいに女の子が口を開いた。視線はこちらに向けず、指はキーボードを叩き続けていたけれど、その声のトーンはいつもと少しだけ違う切実さを含んでいるように思えた。ちょっと行き詰ってる。僕は昨日まで書き続けていた「アイスパレスの王女さま」を念頭において答えた。もしかしたら、この作品はあきらめなくちゃならないかもしれない。女の子はキーボードから手を離して、僕と目を合わせた。ねこの目に似ているな、と瞬間的に思ったけれど、それが実際の感想なのか、それとも今書いている小説の最初の一文からの逆流なのか、判断はつかなかった。女の子は口を開く。キシは書いてる途中の作品のこと、誰かに話すのは嫌い? 僕は目を逸らすために小さく首を振って、そんなことはないよ、とそれを否定した。女の子は軽く親指を唇で挟んでうつむき、考え込む仕草をする。それからふいにまた僕のほうを向いて、質問を重ねた。その小説は、どんな内容?
 僕が以前に書いた「クリスタルパレス発」っていう作品の続きなんだ、と僕は「アイスパレスの王女さま」について話した。女の子は小さくうなずいてから口を開いた。憶えてる。キシが消える前の「ぬー」に去年の秋に投稿した作品。ツバメって名前の、空を飛ぶ女の子が出てくる話。あの作品の続きを書いてるの? タイトルは、もう決まってる?
 「アイスパレスの王女さま」。
 アイスパレスの王女さま、と女の子は繰り返した。それってツバメのこと? それとも新しい別のキャラクター?
 別のキャラクターだよ、と僕は答える。アイスパレスの王女は、文字通り氷の宮殿に住んでいる。それは本当に氷でできた宮殿で、ある村の高台に孤立して建っている。王女はそのアイスパレスを維持するために、常に強力な冷気を流しているんだけど、そのせいで村の人たちはとても困っている。夏でもお構いなしに冷たい風を吹かせるから、畑も実らない。主人公の少年とツバメの二人組みは、旅をしている途中でたまたまその村を訪れるんだけど、村人たちが困っているのを耳にして、王女に会いにいくことにする。
 「クリスタルパレス発」は、と女の子はやや目を細めて僕を見つめながら言った。主人公とツバメが夜空を飛ぶ、幻想的な内容ではあったけど、でもその舞台は現代の日本だったよね? 今の話を聞くと、「アイスパレスの王女さま」はその続編だっていうのに、舞台になる世界自体がなんだか似非ファンタジーみたいに思えるんだけど。
 二重構造になっているんだ、と答え、それについて説明を続けたけれど、結局は完成をあきらめた作品の構造について言葉を並べることに、後ろめたさも感じていた。ともかく僕は次のように言った。作品はふたつのパートに分かれている。現実パート幻想パート。それらが交互に展開されていくことで話が進む。アイスパレスの王女は幻想パートの人物。現実パートでは、「クリスタルパレス発」のように少年とツバメのふたりが現代の都市の夜空を飛行する。現実パートなのに夜空を飛行するんだ? と女の子が素早く口を挟んだけれど、嘲笑的な響きはなかった。それで、どうして作品としての「アイスパレスの王女さま」は行き詰ってるの? 女の子の問いに、僕はここ数日間の苦労を思い出しながら答えた。幻想パートは現実パートとリンクして進むんだけど、肝心のアイスパレスの王女について僕自身よく理解できていないんだ。現実パートの最後のシーンで、主人公とツバメの関係が破局する、そこまでの構想はある。ツバメの翼は折れて、空を飛ぶことができなくなる。でもそれに呼応する幻想パートでの展開が浮かばないんだ。現実パートでの結末に対応する、幻想パートでのアイスパレスの王女の立ち位置が、僕にはつかめない。多分アイスパレスの王女がツバメの翼を奪うことになるんだろうけど、でもその動機は? 意味は? それが分からないから、王女とツバメ、主人公との対話の部分で止まっているんだ。
 キシはその作品が完成したら、どうするつもり? 女の子は急に矛先を変え、どこか咎めるような目で僕を見た。「ぬー」がなくなってからも、キシは別の投稿サイトを利用したり、自分のサイトを持ったりはしてないんでしょ? 書いた作品を、どこかへアップしようとはしないの?
 「ぬー」の常連の一人で「夜鷹」ってハンドルネームの人がいたよね、と僕は説明を始めた。その人が自分のサイトで、いろんな人に声をかけて競作企画をしてるんだ。「ぬー」の常連の人も何人か参加してる。お題を決めて作品を募集して、一斉に公開するんだ。今僕が書こうとしているのはそれへの参加作品で、つまりそこにアップするつもりで書いているよ。
 でも、あきらめるかもしれないんだ? 女の子は酷薄なほどの素早さでつぶやいた。「アイスパレス」のほうはね、と僕は弁解するように言った。「アイスパレスの王女さま」はあきらめるかもしれないけど、その企画自体には、別の作品を用意してでも、何とか参加するよ。
 あきらめるかどうかはキシの自由だよ、でも、と女の子は僕のほうを見ず、でもどこか哀願するような響きのする声で言った。「アイスパレスの王女さま」っていう作品は、いつか読んでみたい。「閉じ込められた女の子」の新しい展開を、知りたいと思うから。アイスパレスの王女も、キシの今までの作品に出てきた「閉じ込められた女の子」たちのひとりでしょ? それに対してツバメは、キシの小説には珍しい、「閉じ込められた女の子」たちとは対極に近いキャラクターだから、ふたりの対話にはきっと意味がある。言い終ってから、女の子は再びパソコンの画面に視線を戻し、キーボードを鳴らしながら自分の作業に入った。その俊敏さはこれ以上の会話を拒否する意志の表れのように思えた。いっぽうで僕は、女の子の言葉から啓示のようにあるアイディアを得ていた。「閉じ込められた女の子」とは女の子が僕の書いた小説に出てくる登場人物たちについてしばしば使う言葉だったけれど、アイスパレスの王女をそのひとりだと捉えることは今までなかった。でも指摘されて考えてみると、むしろ今まで気づかなかったのが不思議なくらい、アイスパレスの王女はその言葉にふさわしいキャラクターだった。そしてそのような視点から改めてアイスパレスの王女を見つめたとき、その姿は同じく「閉じ込められた女の子」という言葉にふさわしい「ねこの目の女の子」に重なった。そのダブルイメージが僕に、「ねこの目の女の子」の小説を形を変えた「アイスパレスの王女さま」として書く、という着想を与えた。そのようなアイディアがどうして唐突に浮かんだのか、自分でもよく分からなかったけれど、その考えは熱をもって僕の頭に根付いて離れなかった。重い歯車がゆっくりと動き、止まっていた小説のプロットが少しずつ前に進み始めた。嵐の街を走る車の中で、ねこの目の女の子が口を開こうとしていた。
 僕は急いでテキストファイルを開き小説の続きを書こうとする。でも頭の中にあるアイディアや風景は、文章にされることを嫌がっているようだった。ねこの目の女の子がそれを拒んでいた。モデルとなる女の子がそばにいる今の状況では、言葉は次々に逃げていき物陰に隠れてしまう。まるでモデルとなる本人を怖れているように。でもよくよく考えてみればそれは逆だった。怖れているのは僕のほうだ。何もかもを見透かすような女の子の目に見つめられて小説を書くことを怖れているから、正しい言葉を選べないのだ。逃げているのは僕のほうだ。
 そう結論しても、文章を書くのをあきらめるわけにはいかなかった。ねこの目の女の子は口を開こうとしている。その声に耳を澄まさなければならない。聞き逃したら、もう二度としゃべってくれないかもしれないのだから。僕はネットで市内の図書館の位置を調べた。ここから一番近いのは通っている大学の付属図書館だった。通学用の地下鉄の定期は夏休みの間もまだ残っている。僕はノートパソコンの電源を消して画面を伏せた。立ち上がり、無造作に壁際に寄せられているショルダーバッグを手に取る。中に入ったままの参考書やファイルを取り出して机の上に置き、空になったカバンへ閉じたノートパソコンを容れる。そんな行動をいぶかしむ目を向ける女の子に、僕は視線を向けず、でも努めて柔らかくした口調で言った。ちょっと用事があって、これから学校に行かなくちゃならない。
 それって。女の子は少し間をあけてから口を開いた。何時ごろまでかかるの?
 少なくとも夕方まではかかると思うし、もしかしたら日が沈むまで帰らないかもしれない。そう答えてから、僕は日が沈むまでは帰らないことに決めた。その後で矢継ぎ早に、要約すれば次のようなことを言った。①合鍵を渡しておくから好きなときに帰ればいい。②僕を待つ必要はない。③今からすぐに出なくちゃならない。お昼ご飯は用意してあげられない④ので、お金を渡しておくから自由に使ってほしい。⑤通りにあるパスタ屋さんはけっこう美味しいからそこに行くのもいいかもしれない。そう言い終って何気なく女の子のほうを向くと、女の子もこちらを見つめていて、目が合った。その視線には凄まじいほどの貫通力があった、それなのに女の子の表情には徹底的に感情がなかった。無表情という言葉すら通り越して、女の子は僕のことをただ見ていた。僕を見つめていたのに、同時に何も見つめてはいなかった。女の子は何も言わず、再び自分のノートパソコンの画面に集中した。キーボードを叩く乾いた音だけが、部屋に響いた。それでいい? 僕は動揺を隠しつつ何とかそれだけを言葉にした。女の子はプログラミングの本に何か書き込みをしながら、いってらっしゃい、と感情のない声でつぶやいた。僕は財布から取り出した二千円と部屋の合鍵をテーブルの上に置き、いってきますと言って、半ば逃げるように部屋を出た。地下鉄の駅まで歩いているときも、乗客のほとんどいない地下鉄の座席に腰をおろしているときも、僕は女の子の視線のことを繰り返し思い出していた。もしかしたら、夏休みの真ん中で学生のほとんどいない付属図書館の机でノートパソコンに向かっている間もずっと、僕はあの視線を頭の片隅にこびりつかせていたのかもしれない。あるいはそれが奏功したのだろうか、「ねこの目の女の子」の小説は期待していた以上のペースで先に進んだ。日が沈んで外がすでに薄暗くなり始めていることを、僕は急に気づいて驚いた。
 部屋に戻ったのは八時ごろで、もちろん部屋に女の子の姿はすでになかった。暗い部屋に、女の子が消さずに出て行ったエアコンのうなりだけが響いている。僕はカバンから取り出したパソコンを起動させ、大学の図書館で書き上げた文章にところどころ手直ししながら目を通した。小説の骨格はほぼ出来上がり、後はラストシーンを残すのみとなっていた。その構想もほぼ頭の中では出来上がっていた。たぶん明日にはひとまずおしまいまで書けるだろう。小説のタイトルは「アイスパレスの王女さま」に改めた。それが一番ふさわしいと思った。
 簡単に夕食を作り、ウィスキーを飲みながら食べる。その後でパソコンをネットに繋ぎメッセンジャーを開いたけれど、「クロ」がいるだけで他のメンバーはオフラインだった。届いている四通のメールは、全てダイレクトメール。しばらく適当なサイトをぐるぐると回っていた。グラスのウィスキーがなくなりそろそろ切り上げようかと思い始めたころ、メッセンジャーを通して「クロ」が文章を送った。「キシはUFOって存在すると思う?」
「いきなり変なこと訊くね」僕は苦笑しながら返信した。「UFOって、宇宙人が乗ってる乗り物って意味? それなら信じない」
 三分ほど間をあけてから、「クロ」の長い返事が届く。「キシはUFOが街を襲うプロットの小説をずっと前に書いているけど、それでもキシ自身はUFOの存在には否定的なの? それならどうして、自分の小説にUFOを登場させたの? あの小説でUFOはもちろん話の中心にあるわけだけど、自分では実際には信じていないものをそうやって話の中心に据えて物語を作ることは、不自然ではないの? キシの小説の世界は現実の世界とは切り離されているの?」クエスチョンマークだらけの文章を何度も読み返しながら、ウィスキーの酔いで鈍くなり始めている頭をなんとか働かせて反論を用意しようと試みたけれど、体系的な考えができずしばらく返事ができなかった。僕は結局十分近く黙っていた、でも「クロ」はその間何も言わずこちらの答えを待っていた。それがいつもの作法なのだけれど。
「僕は確かに小説の中でUFOを登場させたけど、でもその中に異星人は書かなかった」僕はとりあえずそれだけ送信してから、続きの文章をすぐに打った。「僕が信じないのは、マスコミが面白おかしく作り上げた宇宙人の乗り物としてのUFO。そんなものは信じない。でもね、空を見ることなんか全然しなくなった現代人が、たまたま見上げた頭上に、不意打ちのように何か得体の知れない金属質の飛行体が浮かんでいる、そういうことはとてもありえると思ってる。そいつが人知を超えた凄まじい力で地球上のある都市をある日何の前触れもなしに壊滅させる、それもありえると思ってる。僕はそのような存在として自分の作品の中にUFOを登場させた。僕の書く作品は現実の世界とは切り離されていない。少なくとも僕はそう思ってる。僕が作品の中に現実的でないことを書いたとしても、それは現実をある別の角度から捉えたものだと、僕自身は思ってる。全ては現実と地続きになっていると、僕は信じてる」
「言い訳ありがとう」と「クロ」の素早い返信が届いた。「確かにキシの小説でのUFOは、ただ出現して街を破壊しまくるだけで、宇宙人の乗り物かどうかは全く言及してなかったね。それどころか、最後までUFOは謎の飛行体という域を出なかった。何が何だか全然分からないまま、ただ主人公の兄妹の住む街を破壊していた」。それからまた三分ほど間をあけて、意外なことを言った。「わたしさっきUFOを見たよ。さて、あのUFOは街を襲うのでしょうか?」
「いつ?」
「たぶん三十分前、八時ごろ。駅から家まで歩いてる途中、星みたいな光なんだけど明らかに妙な動きをするのが、西の方向に飛んでいった。飛行機とかじゃ絶対にできない動きをしてた。カクカクした動きで、スピードに緩急をつけてた」しばらく何も応えないでいると、焦れたように「クロ」が訊ねた。「どうせ、キシはこの話信じないんでしょ?」
「信じるよ」とだけ僕は答えた。すぐに「どうして?」と追撃が来る。僕は素早くキーボードを打つ。「僕も見たことがあるから」
「UFOを?」と少しだけ間をおいて「クロ」は訊いた。
「UFOを」とすぐに僕は答えた。「子供のころ一度だけ。ある夜父親の車に乗ってて、窓から頭を出して空を眺めてると、ひとつだけ変な動きをしてる星があった。カエルが泳いでるときみたいな、緩急のある動き。すぐにUFOだと思った。絶対にUFOだと思った。父親に教えても無視されたけどね」
「そのときキシは、あの光には宇宙人が乗ってるって、思わなかったの?」
「おそらく、思ってたはず。子供のころはテレビなんかを見て無邪気に『いわゆるUFO』を信じてたから。でも今はあれに宇宙人が乗っていたとは思えない。ただ、同時にあれが単なる見間違いだと片付けたくもない」
「UFOが街を襲うとは考えなかった?」
 しばらく考えてから、僕は答える。「たぶんそんなふうには考えなかったと思う。怖いとは思わなかったはず。友好的とも思わなかっただろうけどね。ただ単純にすごいものを見た、という感覚しかなかったんじゃないかな」
「わたしはすごく怖い」と「クロ」は言った。「わたしが今日見たUFOは、街を襲うんじゃないかって、不安で不安で仕方がない。冗談なんかじゃなくね。でもキシには、わたしがどれくらい真剣に不安に思っているかは、たぶん分からない。説明がすごく難しい。何でもないってことは、わたしだって分かってる。でも怖い。キシがあんな小説書くからいけないんだ。UFOが街を襲うなんて、馬鹿げてる。おやすみ。わたしが見たUFOも、キシが子供のときに見たUFOと同じならいいんだけど」
 僕が何か返事をする前に、「クロ」はオフラインになってしまった。僕はパソコンを閉じ、カーテンの隙間から夜空を眺める。いつもと同じ、星の見えない空に、奇妙な動きをする光は見当たらない。僕は明かりを消してベッドにもぐり目を閉じる。眠りはすぐにやって来て、街を破壊するUFOに邪魔されることもなく、僕は朝まで眠り続けた。

 

(次回更新 6/19) 

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《あとがき》

 この小説は「小説を書く人」というのが主なモチーフになっています。「自分はこういうふうに考えながら小説を書いている」という部分を、ある程度出せているんじゃないかと思います。あ、もちろん「女の子」はいないですけど。ともかくキシ君の口から語られる「小説を書くこと」についての考えは、だいたいにおいて僕自身の持っているものです。それがいいものであれ、悪いものであれ。