水の底から

みずの そこから いろいろ かきます

【水中都市】僕とニーナとセルゲイ (2/4)

 ニーナは嬉しいことがあるとくるくる回る。

 ニーナ・ダンスと僕らは呼んだ。髪や服の端が踊りに合わせてたなびくのが何とも言えず好きだった。ニーナは別に誰かに見てもらいたくてそうしているわけではなくて、だから宝の山で何かを見つけ出したとき、人知れず踊っていることもある。嬉しいと体が勝手に動いてしまうのだ。だから僕もセルゲイもニーナが喜びそうなものを見つけると、後でびっくりさせるために取っておく。そして思いがけないタイミングでプレゼントする。ニーナは驚いて、喜んで、そしてくるくる回る。楽しそうなニーナは本当に可愛らしい。
 プレゼントと言っても、それは形だけのことだ。僕らは何かを独占的に所有することはしない。そんなのは旧世代の人たちの愚かな風習でしかない。そんなもののために彼らは呆れるほど大きな戦争を繰り返して、そしてたくさんのものを失ってしまった。僕らはそれを繰り返さない。だから所有しない。僕らにあるのは共有だけだ。ニーナに何かをプレゼントしても、それはニーナ・ダンスを見るための儀式みたいなもので、その後で僕らは共有する。もちろん僕やセルゲイが綺麗な髪飾りや首飾りを実際に自分で着けることはしないけれど、でも着けたって構わない。それでニーナが腹を立てるなんてことは、起こらないのだ。
 ニーナは僕よりふたつ年下だ。背も小さく華奢で、元気よく駆け回るけれどそれほど体が頑丈というわけでもない。口数は少ないけれどよく笑い、僕とセルゲイの話もしっかりと理解している。じっくり考えるときはいつも上を向く。さっきまで走り回っていたのに急に立ち止まって空を見上げているときは、きっと何かを思いついたのだ。でもそれについて誰かに話すということはあまりしない。考え事に一区切りつくと、またさっきまでのように走り回り始める。繰り返すけれどニーナの口数は少ないのだ。
 僕とニーナとセルゲイは家が近い。それで仲良くなったのだけど、初めは僕とセルゲイが友達だった。いつもふたりで遊んでいた。その様子を、まだニーナが本当にちっちゃかったころ、ニーナはこっそりと眺めていた。壁に身を隠しながら、と言ってもバレバレだったのだけど、ニーナは無表情のまま僕らを見つめていた。最初セルゲイが気づいた。何かいつもこっちを見ている女の子がいる。薄気味悪いとセルゲイは言った。確かにニーナの大きな瞳は、どことなく不吉な影が宿っているようにも見えたけど、僕は最初からニーナのことを可愛いと思った。もしかしたらセルゲイも、本当はそう思っていたのかもしれない。でも女の子と遊ぶことに抵抗があって、ニーナの存在に気づいてからも長いこと、僕らはニーナを無視してふたりで遊んだ。本当は、こちらを見つめている少女のことを、横目でちらちら気にし続けていたのだけれど。
 ある日セルゲイが、地雷原を見に行こうと僕を誘った。危ないよ、と僕は抵抗した。見るだけだから大丈夫だって、とセルゲイは自分の意見を押し通して僕を連れ出した。村の大人たちに見つからないよう、十分に注意を払って僕らは地雷原へ続く道を辿った。常にあたりを注視して、誰にも見咎められていないことを確認して。
「地雷危険」の看板の先、荒れ地一体が地雷原だ。大戦のとき、敵が村へ侵入するのを防ぐために設置した。でももうそのときのことを覚えている人は誰もいない、気の遠くなるくらい昔の話だ。いまとなっては地雷が作動するかさえ疑わしい。でも、村の大人たちは誰もここへ近寄らない。危ないから。もし地雷が起爆してしまったら、ただでは済まないから。
 石を投げてみようぜ、とセルゲイは嬉しそうに言った。危ないよ、と僕は言った。ふたりとも、地雷原を見たのは初めてだった。看板と、今はもうぼろぼろに朽ちて意味を為さない防護柵がなければ、取り立てて特徴のないただの荒れ地。でもその何の変哲もない様子が却って僕の恐怖を煽った。何もないように見えるのに、そこには致命的なものが埋まっている。うっかり踏んづけてしまったら、ただでは済まない危険なもの。ぞっとする大戦の名残を目に留めて、本来ならばセルゲイも、それで帰るつもりだったのだと思う。その後の、予期しない出来事が起こるまでは。
 行かないの、と声がした。僕もセルゲイも度肝を抜かれて振り返った。誰かが後ろにいるなんて考えてもみなかった。誰にも見つからないように注意してここまで来たのだから。でもそこには少女がいた。いつも僕らの様子をじっと見つめている女の子だ。彼女は、ニーナは裸足のままで地面に立って、上目遣いに僕らを見つめていた。無表情のまま、大きな瞳にどことなく不吉な影を宿して。そして今回は壁に隠れてはいなかった。僕らの前にその身を晒して、確かに声をかけたのだ。行かないの? その言葉の意味を掴まえる前に、ニーナは歩きだしていた。地雷原へ向けて。柵の隙間をすり抜けて、ニーナは何気ない足取りで荒れ地の真ん中を進んでいった。僕もセルゲイも呆気にとられて、止めることも、危ないと叫ぶこともできなかった。小さな少女が裸足で荒れ地を進んでいくのを、ただ見つめていた。地雷は、作動しなかった。ずいぶん先まで歩いていったが、荒れ地は些細な変化さえ見せず平穏だった。地雷をひとつも踏まなかったのか、あるいは踏んでも起爆しなかったのか、そのときの僕らにはわからなかった。少女は立ち止まると振り返り、僕らを見つめた。首を傾げ、空を見上げた。しばらくして視線を戻すと、同じような足取りでこちらへ引き返してきた。裸足の足はしっかりと地面を踏みしめていた。
 出たときと同じように柵をくぐり抜け、ニーナは再び僕らの前に立った。裸足の足は土に汚れていたけれど、傷ひとつなかった。僕もセルゲイも声が出なかった。ニーナは僕らの前に立ったまま、何も言わず、目をぱちぱちさせたりあちこち視線を巡らせたりしていた。沈黙は、ぎこちないながらも長く続いた。それを最初に破ったのは僕だった。
 どうしてあんな危険なことをしたの。セルゲイと目配せをしてから、僕は尋ねた。ニーナは質問が理解できないのか首を傾げ、視線を落とした。僕は質問を変えた。裸足で歩いて痛くない?
 痛い! でも平気! とニーナは答えた。
 僕は自分のボロボロのサンダルを脱いで、ニーナに履かせた。ニーナは不思議そうな顔をした。どうしてそんなことをするのか、わからないみたいに。
 地雷は怖くなかった? と僕は聞いた。怖くないよとニーナは答えた。どうして怖いの?
 踏めば爆発するんだ、と僕は言った。どかーん! ニーナは笑って、どかーん! と繰り返した。どかーん!
 僕はもう一度セルゲイと目を合わせた。セルゲイはうなずいた。たぶん、この女の子はこの場所の危険性をよくわかっていなかったのだ。僕はニーナに向き直ると、声をかけた。ここは危ないから、お家へ帰ろうか。危なくないよ、とニーナは言った。僕はちょっとうんざりして、諭すように言った。地雷を踏めば、死んじゃうんだよ。足が吹っ飛んで、血がだらだら流れて、死んじゃうんだ。そんなの嫌だろう?
 踏まなきゃいいじゃん、とニーナは言った。僕がもうひとうんざりする前に、ニーナは駆け出して、柵越しに地雷原の方を指差して声を上げた。地雷の場所わかるよ。あそこ、あそこ、ほらあそこも。あれを踏まなきゃいいんだよ、簡単だよ。
 地雷が見えるわけないだろ。セルゲイは苦笑しながらニーナに近寄った。わかるよ! ニーナは頬を膨らませて、もう一度地雷の場所を指し示した。セルゲイは、その指し示す場所へ目を走らせていた。
 僕も遅れてニーナのところまで来た。そしてセルゲイの表情が、先ほどの苦笑から強張ったものへと変化していることに気づいた。どうかした? と僕はセルゲイに尋ねた。いや、何て言うか、とセルゲイはうめいた。なんでだろう、わかるんだ。
 わかる? 僕はセルゲイの意味することがわからなくて、繰り返した。ほらあそこ、とセルゲイは地雷原を指差した。あそこに地雷が埋まっている。あそこにも、あそこもだ。
 僕はセルゲイの指し示す場所を目で追った。そして、わかった。確かにそこに地雷が埋まっている。表面上は他の地面と変わらないし、何か特徴があるわけでもない。しかし僕にはそこに地雷が埋まっていることがはっきりとわかった。そして一度地雷の場所がわかってしまえば、他に地雷が埋まっている場所も同じようにわかった。言葉にすることはできないけれど、それは確かに地雷の埋まっている場所だった。気づいてしまえば、それはあまりにも明らかなことだったのだ。
 本当だ、と僕はつぶやいた。わかる。
 踏まなきゃいいんだよ、とニーナは言った。そして最初の言葉をもう一度繰り返した。行かないの?
 僕とセルゲイは三度顔を見合わせた。賭けてみる、というにはあまりに明白に、僕らは地雷の場所がわかっていた。僕とニーナとセルゲイは、地雷原へ足を踏み入れた。地雷の数はそれほど多くない。踏まずに進むのは全く大したことではない。地雷原の只中を進むとき、僕の心にあったのは緊張感でも、まして恐怖心でもなかった。僕はただただ不思議だった。地雷の在り処はここまで明確にわかるのに、どうして先ほどまでは気づかなかったのだろう? それはたぶん先入観なのだ、といまならわかる。埋まっている地雷の場所がわかるはずないという思い込み。しかしそれを一度取り外してしまえば、ものの見え方は一変する。僕らはほどなく地雷原を抜けた。そしてその先に、思いもよらないものを見つけた。
 おびただしい数の人工物の堆積。それが人工物だということはわかるのだけど、その使い方も作り方も全く想像できない奇妙な用具。僕らは三人とも息を呑んだ。おそらく大戦前の人間たちの作り出したものだろうということは想像できた。大戦前、人類はいまとは比べ物にならないくらい高度な技術を持っていた。そのことは繰り返し繰り返し話して聞かされる。例えば奇妙な一枚の板を見せてもらったことがある。表面はつるつるした黒いガラス板のようになっていて、本来であればそこにさまざまな絵が映し出される仕掛けになっていたそうだ。それを使って買い物をすることもできたし、たくさんの種類の絵を眺めることもできたし、遠くの人と会話することさえできた、という。しかもそれは有り余るほどたくさん作られていたのだ。ともかく僕らには予想さえできないものを大戦前の人たちは作っていた。それがいかに僕らの想像を超えるものであったか、僕らは聞き飽きるくらい聞かされている。でもその実物が、こんなにも途方もない数、山のように積み上がっている光景を目の前にすると、その驚きを表現する言葉さえ見失ってしまう。そして僕は恐怖を感じた。賞賛とか畏敬とかいったものではなく、純粋な恐怖を僕は感じた。
 でも、僕がその堆積に根源的な恐怖を感じ取ったとしても、同時に強い興味を味わったことは疑いようがない。それは他のふたりも同じだった。僕らは特に何も示し合わず宝探しを始めた。セルゲイはひとり山を登って上の方を探した。僕はニーナに自分のサンダルをあげて裸足だったので、それに続くことはできなかった。ニーナとともに、山の麓のあたりを探した。ずっと無言で、僕ら三人は黙々と宝探しを続けた。
 やがてそれぞれの収穫物を手に、三人は宝の山を離れた。そして荒れ地の上に各自の戦利品を並べた。不思議な形をした、不思議な素材で出来た不思議なものたち。使い方も作り方も僕らには想像も及ばない。でも、あるいはだからこそ、この宝物たちは僕らの興味を惹きつけてやまなかった。使い方を知りたいわけじゃない。作り方を知りたいわけでもない。ただ、面白かった。眺めるだけで、手触りを確かめるだけで、音を立ててみるだけで、それは本当に面白かった。そんな面白いものが、ここには山のようにある。
 ここのことは俺達だけの秘密にしようぜ、とセルゲイは言った。僕らは合意した。やがて日暮れが近づきつつあることを感じて、僕らは宝の山を後にした。地雷原を抜けるのは、やはり難しいことではなかった。防護柵の隙間をくぐり抜けてから、ニーナが小さな声で言った。また明日、いっしょに遊んでもいい? セルゲイと目配せする必要もなかった。もちろん、と僕は答えた。ニーナは嬉しそうに笑って、くるくると回りだした。髪と、服の端が、あどけない踊りに合わせてたなびいた。僕とセルゲイも笑った。こうして僕らは三人になった。

 ニーナは踊る。嬉しいことがあると、すぐ踊る。特にそれがとびきり嬉しいことだと、ニーナ・ダンスは長く続く。いつまでもニーナはくるくる回っている。
 その視点から言えば、青い石は本当にニーナを喜ばせた。見つけ出したときもずっとくるくる回っていたし、僕とセルゲイが自分の分の石をあげたときも、ぴょんぴょん飛び跳ねてずいぶん長いこと踊っていた。別のことで遊んでいるときも、ときどきポケットの中から青い石を取り出しては、吸い込まれるような青い光をじっと見つめて、そしてくるくると回り出す。ニーナは青い石をずっと自分で持っていた。いつでも、好きなときに見られるように。大事に、肌身離さず、ニーナは常に青い石といっしょだった。

 

(次回更新 7/1)

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《あとがき》

 ニーナは僕自身にもよくわからないキャラクターです。でも、よくわからないものをよくわからないまま書くのって、すごく楽しいです。このお話の「僕」も、セルゲイも、僕には「わかる」キャラクターで、その行動も物の考え方も「自分ならこうだろう」という部分に大きく影響されています。でもニーナは別です。よくわからない。そういうのって、魅力的です。