水の底から

みずの そこから いろいろ かきます

【水中都市】僕とニーナとセルゲイ (1/4)

 「地雷原」の向こうに宝の山がある。

 大人たちからは、危険だから行っちゃいけないときつく止められているけれど、地雷原は注意深く進めば危なくともなんともない。どこに地雷が埋まっているかなんて見ればわかるし、実はそれほど多く埋まっているわけでもない。セルゲイなんて、わざとふざけてスキップをしながら、敢えて地雷の多く埋まっているところを通り抜けたりもするけれど、もちろん起爆させたことは一度もない。踏まなければ地雷なんて怖がる必要はない。でも大人たちにはそれがわからないのだ。
 その地雷原を越えた先、宝の山には見たこともないものがたくさん積み上がっている。見たこともない材料で出来た、見たこともない形のもの。昔の人たちが作ったものだ。ほとんどが壊れてしまっているし、何に使うものなのか、いまとなっては理解不明なものが多いけど、その不思議な造形は、いつだって僕達の心をワクワクさせる。大人たちには役に立たないガラクタにしか見えないかもしれない。でも僕達は、いつも隠れてここへ来ては、面白そうなものを競って探している。誰が一番面白いものを見つけられるのか、競争する。もちろん比べた後では、僕たちはその新しいおもちゃを仲良く共有して、取り合ったりはしない。何かをひとりで所有しようなんて、そんなのは大戦前の愚かな人間の習慣でしかない。旧時代のそんな間の抜けた風習を、僕たちは繰り返したりしないのだ。
 セルゲイは僕よりも三つ年上で、背も高く体も頑丈だ。だから宝の山へ来たときは高いところまで登って、いつもまだ手を付けていない新しい場所を探す。僕はそんなところまでは登れない。だから同じ場所を何度も何度も探し回って、それまでに見落としていた意外な掘り出し物を探す役に徹する。小柄なニーナは山の麓のあたりで、小さな綺麗なものを専門に探す。そういうものについての嗅覚は、ニーナは誰にも負けない。一度、小さな鏡を見つけ出したときは本当に驚いた。一見するとただの薄桃色の扁平な小石のようなものなのだけど、側面に爪を引っ掛ける小さな穴があって、そこからこじ開けるようにして小石を開くと、内側にピカピカの鏡がついている。鏡は真新しく、染みひとつついていない完璧な状態で保存されていた。そんなに綺麗な鏡は初めて見たので、僕もセルゲイも、もちろんニーナも、かわりばんこに自分の顔を映しては角度を変えたり変な顔をしたりして夢中になって楽しんだ。
 僕たちは秘密基地を持っている。地雷原とは逆の方向へ進んだ森の中に、打ち捨てられて錆びてしまった戦車がある。入り口は閉じていて開かなかった。でも何ヶ月もの努力の末、僕とセルゲイはついにその扉をこじ開けることに成功した。三人は手を取り合って喜んだ。戦車の中は、それほど広くはなかった。僕たち三人が一度に入ることはできない。でも宝物を隠すにはピッタリの場所だった。宝の山から持ち帰ったものを村の人に見つけられると、たっぷりお説教を食らった上にせっかくの戦利品も捨てられてしまう。だから僕らは隠し場所が必要だった。ここなら大丈夫。大人たちは、絶対にここまでやってこないから。
 そう、森は地雷原以上に大人たちを怖がらせている。一度足を踏み入れたら絶対に帰ってこれないと本気で信じられている。僕も信じていた。ある日セルゲイに、森の中を探検してみようと持ちかけられたときも、絶対に嫌だと断った。でもセルゲイは笑いながら言った、大丈夫、俺も何度か森の中に入ってみたけど、別にどうもなってない。それより森の中はすごいんだ、見たこともない虫や草がたくさんあって、全然飽きないんだ。行こうぜ、怖いことなんか何もない。ニーナだって行くって言ってるぜ。
 ニーナは僕より怖がりだ。もちろん僕と同じく森を恐れている。はずだった。でもそのときニーナはセルゲイの側についた。たぶん、すごく可愛い花が咲いているとか、そういうことを言ってうまく騙したのだろう。僕は内心腹を立てたが、ニーナよりも臆病だと思われるのが嫌で、しぶしぶついていくことを認めた。本当は、怖くて怖くて仕方なかったのだけれど。
 森の中、という言葉はしっかりとした実在のように僕を恐れさせていた。でも実際に、その名前がどこからどこまでを指しているのか、その範囲のようなものはあくまであいまいだった。そのことを僕はニーナとセルゲイと初めて森へ足を踏み入れたときに感じた。つまり、一体どこからが「森の中」なのだろう?
 先導するセルゲイについて歩くと、初めはまばらだった樹木がやがて密生し始め、先へ行くにつれてその濃さを増した。大きな木が頭上に枝を振り、木漏れ日が少しずつ弱くなった、と思えばまた急に開けた場所に出て太陽の光が力を取り戻し、ふいにまた暗くなったり。そんなことを何度も繰り返した。「木がたくさん生えている場所」と「森の中」の境目が、僕にはわからなかった。
 もう森の中に入っているのかな。僕は声が震えないよう用心して、ゆっくりと、でもあまり興味なさそうに装ってつぶやいた。
 たぶんな、とセルゲイはそっけなく答えた。もっと奥まで行くと、もっと暗くなる。日の光も差し込まなくなるんだ。ここはまだ明るい。面白くなるのは、これからだ。
 その言葉は本当だった。やがて地面が湿り気を帯び、頭上に伸びる木々の枝の隙間から漏れる日の光がまばらになるころ、森はそれまでとは異なる様相を僕らに示した。小ぶりな木が姿を消し、視界を占めるのは幹の太くはるか空の先まで伸びる大樹ばかりになった。その足元には丈の低い草か、もしくは苔やキノコが目立ち始める。薄暗く、かすかにカビの匂いを含んだ湿った空気が周囲に漂い、軽やかな小鳥のさえずりはあまり聞かれなくなる。森だ、と僕は思った。森の奥まで来てしまったんだ。
 もう少しだ、とセルゲイは元気づけるように言った。あともう少しだからな。
 何があともう少しなんだろう、と僕は疑問に思った。でもそのことに気を回す前に、僕の耳は不思議な音を拾った。フライパンで豆を炒るときの音を、もう少しだけ重く湿っぽくしたような音。それは最初かすかに聞こえるだけだった。でも次第にその音が拡大されていくのがわかった。音の発生源に近づいている。そう気づいたとき、そこがセルゲイの目的地なのだと理解した。でも、一体どんな場所なのだろう?
 ついたぜ。セルゲイは振り返って、にひっと笑った。疲れ果てたニーナの手を取って、優しく引っ張った。僕はひとりで前方を見た。稠密な樹木が急に開け、日の光が差していた。一定の距離の先は、また同じように大樹の密生が始まっていた。音はますます強くなっていた。先へ進むと、その光の当たっているところだけ地面が窪んでいることがわかった。そして驚いたことに、その窪みの一番深いところには、たくさんの量の水が右から左へと流れていた。無尽蔵に。
 僕はしばらくの間声が出なかった。ニーナも同様だった。セルゲイがひとり、得意げな笑みを浮かべて水の流れを見下ろしていた。遠目でも流れている水の綺麗さはわかった。とても澄んでいて、それほど深くないとはいえ水の底さえくっきり見えた。僕らの村の湖の水とはまるで違う。かすかな濁りさえない。そんな綺麗な水が惜しげもなく右から左へと流れ続けている。あまりの出来事にくらくらした。自分の見ているものを自分で信じられない気分だった。でも、それは確かに目の前にあって、はっきりとした音まで響かせていた。水の音。そうだ、これは雨の音にも似ている。烈しく降る雨の音。嵐の夜のことを、僕はふと思い出していた。
 森には不思議なことがいっぱいある。セルゲイは地面に腰を下ろして言った。俺もこれを見つけたときは本当に驚いた。こんなの村の大人たちの誰も言ってなかった。どうしてだろう? こんなに近いのに、誰もこの場所を知らない。森は別に危険じゃない。地雷原のほうがまだ危ない。それなのにどうして、誰も森の中に入らないんだろう?
 セルゲイは僕の顔を見た。セルゲイの表情は、返事を期待している種類のものじゃない。僕は少し待った。セルゲイはまた喋り始めた。
 それはきっと大人たちが臆病だからだ。自分たちの言葉に縛られて、自分たちで限界を定めて、その中でしか動こうとしない。大人たちは「続ける」ことが仕事だ。いまあるものを、終わらせることがないよう、続けていく。でも俺たちは子供だ。子供の仕事は「初める」ことだ。限界なんてない。だからここまで来れる。大人たちが見つけられないものを見つけられる。そうだろう?
 今度は同意を求められたので、僕は小さくうなずいた。足元の小さな石を拾って、水の流れに投げ込んでみた。とぽんと心地よい音がした。僕は少しだけ納得いかない気持ちがして、セルゲイに尋ねた。森の中へは、何度も来てたの?
 ちょこちょこな、とセルゲイは答えた。ひとりで、と僕は畳み掛けた。ひとりで、とセルゲイは繰り返した。
 僕はもう一度小石を投げた、ニーナが面白がってそれを真似た。どうして最初から僕らを連れて行かなかったの。言葉にして初めて、僕は自分の気持ちを知った。セルゲイはバツが悪そうに答えた。本当に森が危ないのか、確かめてから誘おうと思ったんだ。ふたりを危険に巻き込むわけにはいかないから。最初に自分で確かめておきたかったんだよ。
 それは大人の考え方だよ。僕は地面を見つめていた。ああ、とセルゲイはつぶやいた。セルゲイは足元の草をむしった。そして抗議するように言った。でも、いきなり森へ行こうって言ったって、お前は絶対に断っただろ? 今回だってあんなに抵抗したじゃないか。
 セルゲイがどうしても行くって言ったら、僕は従ったはずだよ。僕も草をむしった。水の流れに投げ込もうとしたけれど、あまり飛ばなかった。草はぱらぱらと空中を漂って地面に落ちた。前にも言ったじゃないか、地雷を踏むときは三人いっしょだって。僕たちは三人でひとつだ。ひとりで地雷を踏むのは、ずるい。
 うん、とセルゲイはつぶやいた。その声音にはもう反発するようなニュアンスは含まれていなかった。ごめん、言い過ぎたかもしれない。僕の言葉に、セルゲイは首を振って答えた。そんなことはない。ありがとう、俺が間違っていた。俺は大人みたいなものの考えに染まるところだったんだな。気づかせてくれて、本当にありがとう。
 セルゲイは立てた膝の上に額を押し付けて、黙り込んでしまった。怖いんだ。随分長い沈黙の後、その体勢のまま、低い声でセルゲイは言った。俺は大人になりたくない。「続ける」人間にはなりたくないんだ。自分がそうなってしまうなんて、想像したくもない。だから森の中へ入った。大人は誰も入らないから。でも、お前たちを差し置いてそんなことをするなんて、確かに間違ってた。俺はそんなことにも気付かなかったんだ。本当に俺はもう、大人になりかけているのかもしれない。
 いつになく弱気な声を出すセルゲイを励ましたくて、僕は言葉を探した。ようやく見つけ出した言葉は大丈夫、殴るから。もちろんセルゲイには伝わらなくて、セルゲイは困惑した表情で僕を見つめた。僕は慌てて言葉を足した。つまり、セルゲイが大人みたいなことを言ったりやったりしたら、僕はセルゲイを殴るよ。それは間違ってるって。それでセルゲイは、怒って僕を殴り返せばいい。子供だから。言いたいのは、つまり、そういうこと。
 セルゲイは笑った。何だかよく意味がわからないと言って。僕も笑った。とりあえずセルゲイを殴っておいた。痛ぇよ、と言ってセルゲイも殴り返してきた。けっこう痛かった。でも僕らは笑い合った。僕らは痛みを共有できたのだ。しばらくの間、僕らは笑いながら殴り合っていた。割と本気で。
 いつの間にかニーナが水の縁まで降りて、じっと流れを見つめていた。それに気づいて僕らは殴り合うのをやめた。そばまで行くと、ニーナは手のひらで水を掬って飲んでいた。冷たい! とニーナは言った。僕とセルゲイも水を飲んだ。水は確かに冷たかった。とても澄んでいて、そしてかすかに甘かった。とても美味しいと僕は思った。親友と精一杯殴り合った後に飲む水としては、最高に美味しかった。
 もっと探検しようとセルゲイは言った。まだまだ森の中は広くて、面白いものもたくさんある。それをどんどん見つけていこうじゃないか。
 嫌だと僕は答えた。その後で、こう付け加えることも忘れなかった。でもセルゲイがどうしても行くっていうのなら、しょうがないからついていってあげるよ。
 ニーナも楽しそうにうなずいて同意した。

 水の流れはどこから始まりどこで終わるのだろう。その答えはたぶんすぐにはわからない。でもとりあえず、どこまで続くのかを見極めようとして続けた探検の中で、僕らは打ち捨てられた戦車を発見した。いまの僕らの秘密基地だ。そしてどこから始まるのかを見極めようとして、僕らは青い石を見つけた。それは空の色よりも濃くて、吸い込まれるような鮮やかさで、そしてかすかに光を放っていた。綺麗だと言って、ニーナはとても喜んだ。

 

(次回更新 6/24)

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《あとがき》

 昔書いた短編を新たに書き直しました。登場人物のキャラ付けはそのまま、より掘り下げてお話しを作っています。それもそのはず、以前書いたのは「お題バトル」と呼ばれるイベントに参加したときのもので、1時間の制限時間内に、与えられたお題を使って小説を書く、というものでした。彼らをじっくりと書き直すことができて、良かったと思います。